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夏といえば「祭り」という人は決して少なくないはずだ。祭りという言葉から、楽しさや美しさ、儚さを連想するのは、日常からひとときの間、離れられるという特別感があるからかもしれない。
祭りの語源は「祀る」とされ、その起源は古いと言われているが、一種のエンタテインメントとして大衆化したのは江戸時代以降だという。全国で行われる祭りの数は30万とされ、日本経済新聞によると、コロナ禍以前は年間約5300億円の経済効果を生み出していたという。しかし、近年危ぶまれているのが「消滅の危機」だ。今年2月、“日本三大奇祭”と呼ばれる岩手の「蘇民祭」は、担い手の高齢化や人手不足を理由に1000年以上の歴史に幕を閉じた。
祭りとは何か?非日常が意味するものは?守り伝える意義は?そして、江戸で起きた“象ブーム”、東京から巨大山車が消滅したワケとは?
落合陽一が、祭礼史に詳しい武蔵大学の福原敏男教授とともに、祭りが辿った数奇な運命に迫る。
ゲスト:福原敏男(武蔵大学人文学部 教授)
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コメント
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水3日のまなかったらほとんどのパワハラはパワハラとおもわなくなり多様にもなるし寛容にもなるよな、差別はよくないあらたな時代言っても水すぐのめるから差別はよりふえるんだな。べんりになればなるほど怒りで溢れる世界になるんだな。幸せになるためには幸せより不幸だったんだな。くるしみがたくさんあるほどまわりにあるものは幸せにかわるんだな。快適だとあらゆるものが快適じゃなくなるんだな。
柳田国男のケとハレの話ですな。
ハレとしての娯楽が日常化した現代で“祭り”が衰退するのは仕方が無いのかもしれません。気晴らしがあふれてますからね。
でも、注意しなければいけないのは、“祭り”が気晴らし以外の機能も持っていたというところだ。それは、面と向かったコミュニティーの事なのだが、人の流動が多くなった現代では地域コミュニティーの重要性が薄れ、地域コミュニティーに立脚していた“祭り”の存立が脅かされるのは必然なのかも知れない。
ケとハレの歴史観が変わる興味深い内容です。
この動画で語られているくらいの時間軸比較でその時代に生きている人にとっての当然のように感じられることが
後代の人間にとっては他愛のないものに思われるってことは個人の人生の時間の範囲でも感じられる
昔と比較して何の意味が有るかわからないと思いました。
現代や過去と比較して「縄文時代は不便でも石で肉を切ってました」と「江戸時代に包丁で肉を切ることができて幸せです」みたいな比較をして「現代に於いて人は我慢を失った」みたいなお話をして何の意味が有るのか、、、過去との比較で幸せの解釈をすることはとても難しいですね。。
お祭りは日本独特だと思う。無礼講、晴れの日。それによって、人間界が広がって、苦しみも絶えていく事が可能になるのでしょ。夏は祭りが多い。花火もまた、非日常だと思う。
今の時代なんでも男女平等といってどの場所にも女性がいないといけない風になってて、そのせいで男達を盛り上げるために行なっていたものも出来なくなってきて現代の男性はみんな弱くなってきている気がする。そして男の居場所が無くなってきている。
何でもかんでも女性も参加しないといけないという今の風潮は本当に正しいんだろうかと疑問に思う。
ゾウを運ぶ為への
(祭りに向けてではない農民の)
非日常感が
ゾウの描写に繋がっているのでは?
例えると自家発電を我慢?
東洋哲学
面白いですねえ!ギリシャのオリンピックも素っ裸でしたよねえ?黒澤明の夢の映画で葬式が出てきました。お祭りとして?穢れを祓うことで晴にということなのでしょうか?
トマト🍅を投げつけ合ったり、牛🐂から逃げたり、チーズ🧀転がして追いかけたり世界も同じだけど、宗教と一体化したのは日本だけ。
あめがふらなかったら晴れにかんしゃをかんじなくなるからな、雨がふるから晴れにかんしゃと喜びがうまれる、晴れにあめがふるだけで寛容性が生まれるんだな、
祭りや儀式のしきたりを現代のぽっと出の価値観で変更してしまってよいものなのだろうか?とふと思いました
わっしょい
酒の常態化は独身男性が異常に多かった江戸の街と関係しているのではないでしょうかね。
独身で宵越しの金を持たない男性なら飲む打つ買うに走るのもわかります。